もうひとつの津波 -逃げる時間“0分”から命を守るために-

2021年4月16日放送

ポイント
① 瀬戸内海を臨む西条市の小学校になぜか備えられたライフジャケット
② 地震による地盤沈下などで堤防決壊、浸水被害は西条市が最も甚大である
③ その地域で活きていくために歴史を学び、伝えていくことが大切

動画で見る

 
 

意外に知られていない〝もうひとつの津波″とは?

 

白石 きょうのCh.4防災、キーワードは「もうひとつの津波」です。

南海トラフ巨大地震では、太平洋から北上してくる大津波のほかに、もうひとつの”津波”が愛媛を襲うと想定されています。

そしてこの「もうひとつの津波」、なんと沿岸部への到達時間は0分。
つまり、逃げる時間がほとんどない”津波”なんです。

 

*******VTR********

■西条市立禎瑞小学校

石原道代教頭
「一緒にね、屋上の出口があったりね
いろんな備蓄用品があることを一緒に見に行きましょう」

おだやかな瀬戸内海を臨む西条市立禎瑞小学校。
全校児童は62人の小さな学校です。

石原教頭
「屋上で着ましょうか。1つ持ったら出てください」
屋上には全校児童分のライフジャケットが備蓄されています。

児童「できた!」
教頭「できた?上手に着たね」

女子児童
「着てないと溺れそうになった時にそのまま溺れてしまう」
太平洋側と比べて襲ってくる津波も高くないと想定されている瀬戸内海側の学校で、なぜライフジャケットを着るのか。

石原教頭
「西条市は、禎瑞が特にですね
堤防が決壊した場合に 津波というより浸水の恐れが高いです。
浸水があるとあっという間に沈んでしまう、水浸しになるので我々はいつも地震の時の避難訓練は垂直避難訓練としています」

県が作成した南海トラフ巨大地震の想定です。
西条市では揺れと同時に堤防が決壊
その瞬間、海水がまるで津波のようになだれ込むと想定されているのです。

もうひとつの津波”です。

 

街の声 西条市出身の男性
(Q一番津波被害が大きい町は)
「南予のほう」

(Q犠牲者が一番多いのが西条)
「そうですか」
「知りませんでした」

街の声 西条市在住の男性
「瀬戸内海はおだやかな海なので一番とは思わなかったですね」

街の声 西条市出身の女性
「津波は大丈夫かなみたいな感じはありますね」

街の声 福島県出身の女性
「10年前の震災に遭っているんですけど、30分くらいで来たんですよ。
それくらいですかね、もっと短いですかね」

(揺れとともに来る)
「えー、逃げられない」

愛媛大学 二神透准教授
「県内で、一番津波で亡くなると想定されているのが西条市なんですけど、約2600人が津波で亡くなるといわれてますが、実は津波ではないんですね」

愛媛大学の二神准教授は西条市だけの問題ではないと警鐘を鳴らします。

二神准教授
「全国というか全県各沿岸域たくさんあります。沿岸部では揺れと同時に地盤沈下。1m下がって堤防がひっくり返れば水がすぐ入ってくるところがありますから、沿岸部の津波が想定されているところ、津波というか浸水なんですけど、そういうところで犠牲者が発生するという想定になります」

太平洋から北上してくる津波とは別に、堤防決壊により発生するもうひとつの「津波」
禎瑞小学校への「津波」到達予測はわずか3分です。

三木秋男さん
「これが禎瑞で有名な客土工事の記念碑です。
昭和21年の12月の21日に南海地震という地震がありまして、禎瑞がだんだんと沈んでいきました。終局的には60センチくらい沈んで止まったと」

西条市禎瑞の郷土史家 三木秋男さん(91)

三木さん
「こういう土地は干拓地といいますけどずっとこうやって堤防を作っていくわけですね」
禎瑞地区の嘉母神社にある記念碑が遺されています。

三木さん
「昭和21年12月、突如来襲した南海大地震により平均60センチの地盤沈下をおこし、285町歩は海水の浸透排水不良のため」

三木さん
「水が溜まっとる状態」

(南海地震で?)
「そう。南海地震で水が溜まって。
これが禎瑞小学校。これずっと水が溜まっとる状態ですね」

この記念碑は昭和南海地震で地盤沈下し、堤防を越えて海水が流れ込んだ事実を伝えています

三木さん
「普段いつでも避難の体制を作っとかないかんということと恐ろしさというかな
本当にその意味もかねて先人が書いてくれてたんじゃないかと思いますね」

西条市中心部近くにある碇神社。

加藤正典さん
「碇神社といいます。通常我々はお碇さんと言っとるんですけど」
碇神社の歴史を研究している加藤正典さん(85)

海の近くに建つ碇神社は、何度も水害に見舞われてきた歴史を持つ神社です。

加藤さん
「18枚だったかな、棟札がありましてね。一番古いのが永享6年。1400年代ですね。愛媛県でも3番目くらいに古い」
「宝永4年のことですが“10月4日、大地震以後、高汐満”と書いとるんですよ。高潮が上がってきたと。ここで一番ポイントは宝永4年の大地震の時に高潮が来たよということははっきりしている」

江戸時代最大級の地震
宝永南海地震の際にはもうひとつの津波で神社が被災したというのです。

加藤さん
「いずれにしてもここは昔そういうことがあったとお伝えできるんじゃないのかなと。それは今も忘れてはいかんなとそんな感じですね」

加藤さんは肺がんと白血病と闘いながら災害の歴史を研究しています。

加藤さん
「医者から見放されてましてね、あと平均的に1か月か2か月か言われとるんですよ」

「やっぱり歴史っていうのは繰り返されます。それでそれをきちっと次の代に引き継いでいくと。
みんなが。やっぱり西条というところはこうなんだ、こういうことがあるんだっていうことを引き継いでほしいなと」

 

西条市立禎瑞小学校 石原教頭 
「竜神社はどっちにある?指さしてみて。ね、あっちね。堤防をずっとぐるっと指で指してごらんよ。この前遠足で歩いたね」

ふるさとの命を救うために…。

 

女子児童
「地震が起きて津波がこっちまで来たら逃げないと、そのまま逃げるのが遅れて死ぬ可能性があるかもしれないから」

(西条で津波来るの知ってる?)
一同「はい」 

災害の記憶と記録は次の世代へと引き継がれていきます。

石原教頭
「子供たちの学習を通してですけども、こうなった時には早く逃げなければならないとか、逃げた後こういう備えがあったら少しでも時間を稼ぐことができるとか
地域の方に子供たちから発信していけるそういう取り組みをしていきたいと思います」

 

あなたはもうひとつの「津波」への備え、大丈夫ですか?

 


 

この情報は2021年4月16日現在のものです。